「桑空会 太田気功道場」とは、”ビートたけしの超常現象Xファイル”等のTV番組出演多数の太田光信代表が、米国の故欧陽敏(オウヤンミン)先生の下で20年間修行して習得した中国の尤氏(ゆうし)気功法を一緒に練習する気功道場です。
尤氏気功法(尤氏長寿養生功)とは、医師 尤彭熙(ユウペンシ)先生が近代科学の視点を持ち、1930~40年代の中国を代表する内家武術家であった王向済老師より学んだ意拳の内功とチベット密教ニンマ派の高僧より学んだ身体意識訓練と瞑想を融合させて創始した健康・医療的側面を重視した人間開発法です。
その最高峰が空勁(くうけい)と呼ばれる触れずに相手を動かす技であり、これは言語を超えた進化した人類のコミュニケーションなのです。
尤彭熙老師の夫人であり104歳までご健在であった欧陽敏先生のご遺志を継ぎ日本で設立された「桑空会」の下での中核となる活動が太田気功道場です。
欧陽敏先生も王向済老師や楊式太極拳の楊澄甫老師から学んだ気功法の達人でした。
太田の気には創始者尤氏夫妻や王向済先師やニンマ派高僧の気が受け継がれています。
尤氏気功法創始者ご夫妻のDr.尤彭熙老師と歐陽敏師母を紹介致します。
尤彭熙老師は、1902年に江蘇省無錫市で生まれ、上海同済医科大学と
ドイツのゲルデルベルク大学を卒業し、1926年にドイツの医学博士号を取得した。
ドイツに留学後、上海で人民病院部長職や教授職を歴任した後、皮膚科の医師として開業し、米剣華と六合門(少林拳)の達人でもあったが、友人からの紹介を受けた名人王向済老師に挑戦し敗れて、直ぐに弟子になった。1928年の事であった。
王老師が意拳を教え始めてまだ二年後の入門であり、意拳の最初期の弟子と言える。
尤老師は王老師の弟子の中では明らかに異質な存在であった。
現役の医師という西洋科学の視点を持ち、意拳の武術的側面より、内功のエッセンスを
中心に王老師に学び、その当時はまだ確立していなかった量子力学の様な
「気や意識をひとつのエネルギー波動と捉え、その時空との関係性を考察する」という
アプローチを元に、 意拳にチベット密教の高僧から習った意識訓練や身体鍛錬の修行法、瞑想法を融合して新たな気功法を開発したのであった。
尤老師は主に上海で医師として活動していたので、北京で王老師や他の弟子達と一緒に練習する時間よりも、上海の自宅に王老師を招いて、欧陽敏師母と一緒にマンツーマンで習う時間の方が長かった事が、意拳社会での知名度が高くない要因と考えられる。
尤老師は王老師の弟子であると同時に、王老師の最大の後援者の一人でもあり、王老師が他界されるまで、30年以上の公私に渡る深い親交が続いた。
1981年、尤夫妻はカリフォルニアのスタンフォード大学研究所から気功の実験と
医学交流を打診され、中国系の教授のサポートを得て米国に移住した。
その後、約3年間サンフランシスコのフォートメイソンセンター等で気功法を教えたが、五百人以上の弟子達が練習会場に収まりきらないぐらいの大盛況だったという。
1983年7月に尤老師は81歳で永眠された。
この4年後に太田光信が尤老師夫人の欧陽老師に入門する事になる。
1930~1940年代の中国で”国手”と評された内家拳の名手、王向済老師の「伝人系譜」。
上記に記されている方々は伝人(直弟子)です。(正式な拝師弟子のみの系譜)
尤氏気功法の創始者である尤彭熙師父の写真は左から3列目の最上段です。
大成拳とは、意拳の別名であり、王老師が他界された後は主に意拳と呼ばれています。
太田光信が、歐陽敏師母と初めてお会いした時には、Dr.尤彭熙老師は既に亡くなられて4年が経過しておりましたので、Dr.尤彭熙老師から直接的な指導は受けておりません。
従って、ここに記すDr.尤彭熙老師の逸話は、それらを見た人たちから太田が直接聞いたり、師母から直接聞いたものです。
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Dr.尤彭熙老師は、ドイツに留学して後、上海で皮膚科の医師として開業していたそうで、少林拳の名手でもありましたが、王薌齋先生に挑戦し敗れて、直ぐに弟子になったと聞いています。
体重は100キロ以上あるのに、自分の背丈もある台の上に皿を置いて、飛び上がって、その皿を壊さずに上に乗ってしまったことや、前述のスタンフォード大学教授の家で、教授の娘さんと一緒に、遠くの距離から、カーテンを開け閉めしていたこと、筋肉の付いた脚は、角材のように四角であったこと、夜は眠らずに木のベッドの上で瞑想をしていたこと等々、その尋常でない行動や出来事は、枚挙に暇がありません。
これらの出来事は、それらを見た人たちから私が直接聞いたり、師母から直接私が聞いたものです。
私がサンフランシスコの鍼灸大学に行っていた時、上海から来た中国医学の先生に、今氣功を習っていることを告げると、「一体どんな師匠に習っているんだ、お前は」と言うので、「Dr.尤彭熙老師の氣功を習っています。」と答えると、「チョット待てお前!俺は知ってる!子供の時に近所で遊んでたら、大きな大人が家から出て来て、「お前たち!この辺で悪さしたらこうなるぞ!」と言って、道路をバーンと足で踏んづけたら、道路に足跡がくっくりと残ったんだよ!」と真っ青な顔で、私に教えてくれました。
「その氣功なら、間違いないから、習っても大丈夫だ。」言われたのを、今でも思い出します。
このように、100年前の秘術、秘法が縁ある人たちを通して、この時代でも垣間見たり、経験したりできるのです。
上述の話を読んでご興味ある方は、是非、太田氣功道場の門を叩いてみて下さい。
桑空會 太田氣功道場
主宰 太田光信 記
【私の生涯で唯一の師、歐陽敏師母】
私太田が初めて欧陽敏師母とお会いしたのは1987年の春でした。
小柄で、目だけがギラギラと鋭く、見つめられると見つめ返すことが出来ず、目をそらしてしまったことだけが、妙に印象に残りました。
毎日のように練習に通ううちに少しずつ、師母の事情がわかってきました。
師母は楊式太極拳の名人でもありました。
1980年代に、スタンフォード大学の物理学の教授で太極拳の先生でもあった
Dr.李の助けで、文化大革命の爪痕が残る中国を香港経由でサンフランシスコに来られた
こと、Dr.尤彭熙老師は、残念ながら数年前に亡くなられて、師母が氣功の教授を受け継いだのち、その厳しさにほとんどの道場生が去って行ってしまったこと等々、
更に、師母の教授される氣功が、中国の“国手”と言われたほどの王向済老師の意拳の
流れを汲み、Dr.尤彭熙老師によってチベット密教の瞑想と融合され、
武術としてよりも、よりパワフルに、より精神的次元の高い仏教的香りのする深遠なる
中国文化の一つになったことなど、私が今迄わからなかったことが毎日行くことに
よって、少しずつ明らかになってきました。
当時の私には、道場のほとんどの人間は私の友人だと思っていたことが、
過ちであったことは直ぐにわかりました。
ごく一部の人間を除き、ほとんどの人間は私には適当に教え、全く逆のことを
教えることも度々でした。
そのような環境の下で、私があまりにも毎日、練習に顔を出して、先に道場生となっていた人間を、段々と追い抜いて、頭角を表すようになった時、「お前らは、こいつが日本人だからと言って教えるなと言うが、こいつが、毎日やって来て、上手くなっている以上、どうして教えずにいられようか」という一言で、私は師母の人柄が分かったのです。
例えこの凄い氣功が中国伝統の秘技であっても、才能や、本当に学ぶ気持ちのあるものには、日本人であっても、門戸を閉じることはないと。
桑空會 太田氣功道場
主宰 太田光信 記
尤彭熙師父と欧陽敏師母の詳しい人物像は
こちらの書籍をご欄ください。
「気功法の最高峰 空勁(くうけい)を求めて」
~ 意拳+チベット密教+瞑想=尤氏長寿養生功 ~ 太田光信著
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